Miriam Haskell(ミリアム・ハスケル)
いつの時代も女性たちの憧れのブランド

1920年初頭、インディアナの小さな町から500ドルを手にニューヨークに出てきたミリアム・ハスケルはマックアルペンホテルの近くにコスチュームジュエリーを売る小さなショップをオープンしました。
最初はパリから輸入したシャネルなどのコスチュームジュエリーを販売していましたが、1926年独自のブランドを立ち上げました。
ハスケルはメーシーズでウィンドウディスプレイを担当していたフランク・ヘスの才能を見抜き、チーフデザイナーとして迎え入れます。ハスケルのジュエリーは見る間に女性の心を惹きつけ、一躍有名店として知られることとなります。 以降ミリアム・ハスケルはクオリティあふれる作品を世に送り出し、当時の ショービジネス界にも新しいムーブメントを巻き起こしました。

オリジナリティーあふれるデザイン
ハスケルのジュエリーはハイジュエリーの伝統的なスタイルを真似ることなく、斬新で複雑なデザインを用いたオリジナリティー溢れたものでした。
優れた職人による質の高い仕事
ハスケルのジュエリーは全て、細かな手作業を経ています。 素材の1つ1つは接着ではなくワイヤーで台座に括りつけられており、裏面の透かし細工の美しい台座を見ただけでハスケルの作品と一目で分かるようになっています。 「最後の仕上げ」に至るまで、優れた技術力を持つ職人の手によって施され、世に送り出されるのです。

世界各地から選び抜いたこだわりの素材
ミリアム・ハスケルは自ら素材を探し求めて世界各地を歩きまわり、 イタリアムラノのガラスや、オーストリアのカットされたクリスタルガラス 等を使用しました。またハスケルジュエリーの特徴のひとつとなっている「ローズモンテ」と呼ばれる裏が平らになっているラインストーンや日本製の上質な模造パールなど、すべては高い品質を維持しています。
これらの素材をアンティーク風のメッキを施したロシアンゴールドと呼ばれるメタルと組み合わせることで独特の雰囲気を持つハスケルジュエリーが完成するのです。

時を超えて生き続けるハスケルのジュエリー
ミリアム・ハスケル個人の人生は、全てが順風満帆ではありませんでした。 創業から24年後の1950年代から徐々に精神のバランスを崩し始めたハスケルは、 1957年には事業から撤退。入院生活を繰り返していましたが、1981年にシンシナ ティで甥の看護を受ける中 息を引き取りました。 1950年代は第二次世界大戦の余波が残る時期でもあり、戦禍の衝撃は少なからずもハ スケルの精神に影響を与えたといえるでしょう。